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東京マラソン2008


 2月17日(日)の早朝、東京都庁前に続々とランナーが集まってきました。その中に底冷えする早朝、滞在先ホテルから都庁前に向かったL夫婦の姿がありました。テキサス州ヒューストン市から夫婦揃って東京マラソン参加のため来日したのです。

 二人のマラソン暦はわずか3年ですが、L夫婦は見事完走を果たしました。L夫婦にとって今回の来日は初めてです。市民マラソンランナーにとって憧れの東京マラソンを完走することが来日の目的でしたが、もう一つの来日目的も達成したのです。



ポケモンとビーニーベイビーが取り持つ縁<

 ヒューストン市内に住むL夫婦には子供が一人います。現在18歳で9月から大学に進学する高校生の男子ボブ(仮称)です。L夫婦の夫の母親(ミセスR)は同じテキサス州の田舎の町で暮らしています。このL夫婦の母親と子供が5年前日本を訪れました。当時ボブは13歳、夏休みを利用しての祖母と孫の二人旅です。

 日本訪問はミセスRが強く希望したものです。ミセスRと私の妻は、近所に住む女性が切っ掛けで知り合いになりました。近所に住む女性、A子さんはビーニーベイビー(Beanie Baby)という人形のコレクター(収集家)です。ビーニーベイビーは、1990年代後半に全米でヒットした動物を模(かたど)った人形で、同時期日本でも熱心なコレクターが多く生まれました。

 A子さんは初期のコレクターの一人として早速ビーニーベイビーの収集を開始しました。ビーニーベイビーの特徴は、それぞれの人形に名前と誕生日が付いていることと、製造・販売期間が限定されていることです。従って、製造期間を終了した人形は販売在庫が無くなった時点で購入することは出来ません。その人形を持っているコレクターから入手する方法しかないのです。

 今から9年前、彼女は、自分が収集したいビーニーベイビーを譲ってくれる相手をインターネットを通じて探すことを考えました。条件として出したのがポケモンカードとビーニーベイビーを交換することでした。これに対して、ミセスRが自分の持っているものを譲っても良いと返事してきたのです。当時ポケモンやピカチュウが全米の子供たちに大人気でした。ポケモンに夢中になっている孫に最新のポケモンカードをプレゼントしたいとの希望を叶えたかったのです。

 これが契機となり、A子さんとミセスRは頻繁にネットでコミュニケーションを深めていきました。そして地域限定販売のビーニーベイビーが日本で売りに出されることになった時、A子さんから妻に協力依頼がきたのです。地域限定のビーニーベイビーは世界中のコレクター垂涎(すいぜん)の的です。ネットを通じて、その地域に住んでいるコレクターに購入を依頼するしか入手の方法がないからです。

 発売日が決まった時、A子さんは私の妻に「ビーニーベイビーを買うために協力して欲しい」と声を掛けたのです。販売当日の朝、どの店の前にもコレクターの長蛇の列が出来ます。そして一人が一度に買える数にも制限があるのです。しかし、これが契機で妻もビーニーベイビーの可愛さに魅了され、すっかりコレクターの仲間入りをしたのでした。そしてA子さんとミセスRのコミュニケーションの輪に加わったのです。



テキサスと日本の相互訪問が実現

 2000年に入り、ビーニーベイビーを通じて交流が深まったミセスRからA子さんに、テキサスへ遊びにこないかと誘いが寄せられました。A子さんは会社の夏休みを利用して、私の妻はもともと予定していた旅行の日程を調整し、その年の夏ミセスRのもとを訪れたのです。脇で見ていて、あれよあれよという間にコトが進んでいくのにびっくりです。

 ミセスRは二人を歓待してくれました。それまで電子メールのやりとりしかしていなかった女性同士が初めて顔を合わせたのです。ミセスRは気さくなアメリカ人を絵に描いたような人です。田舎の小さな町でしたが、毎日色々なところに出かけ、おしゃべりに花を咲かせ、あっという間に一週間の滞在期間が過ぎていきました。そして滞在が終わるころにはすっかり気心が通じた仲になっていたのです。とても男性には出来ない芸当です。

 テキサスを立つ最後の夜、空港に近いミセスRの息子夫婦の家に一泊お世話になりました。そこでL夫婦とも会うことが出来たのです。

 次は、ミセスRが日本を訪れる番です。彼女が日本の友人を訪問したいと息子夫婦に相談した時、L夫婦は喜んで賛同してくれました。通常であれば、高齢の母親の健康が気になるところですが、既に面識が出来ている日本の知人の存在がL夫婦の不安を取り除いたのです。更に、自分たちの息子を母に同伴させることにしたのです。日本という異文化を持つ国の訪問体験を息子にさせたいとの思いでした。

ボブの日本体験が両親に影響を与える

 2003年の夏、ミセスRとボブが日本に来ました。二人にとって初めての日本訪問は二週間の滞在です。我が家を基点に京都旅行や都内見学等の日程を組みました。そして、近所の方々の協力もあり、日本の日常にも数多く触れ大いに楽しんで帰国しました。

 彼等が滞在中、私の主担当はボブのケアです。ミセスRが買物や女性陣とのおしゃべりに忙しい時、私がボブを連れ出すのです。今では見違えるように、背も高くがっしりした体格で高校のフットボール選手として活躍する青年に成長しましたが、来日した時は小柄で眼鏡をかけた少年でした。しかし、私も驚くほど色々なことを知っており、また何事にも興味を示す、まるでハリーポッターの主役の男の子を見ているようでした。彼の質問に対して私の人生経験と雑学脳が大いに活躍します。私も実に楽しい時間を過ごすことが出来ました。



 ボブの父親はテキサスで石油事業に関連したビジネスに携わっており、商談のため欧州と米国の間を頻繁に往復しています。ボブも小さい頃から両親に連れられて幾度となく欧州旅行を経験していました。しかし、日本の滞在はこの少年に大きな影響を与えました。5年経った今でも日本で見聞してきたことを楽しそうに、また懐かしそうに両親に語るのだそうです。

 そんな子供の変化に気づいていた両親は、ある時グランドキャニオンの遊覧飛行で同じヘリコプターの乗客となった日本人のI夫婦と知り合いました。I氏はL氏と同世代でしかもマラソンが趣味です。丁度マラソンを始めたばかりのL夫婦と意気投合し、メールアドレスを交換しました。

 2008年の東京マラソンの出場ランナーの募集が告知された時、I氏は直ちにL夫婦にそのことを知らせたのです。L夫婦は早速参加の申込み手続きをとり、運よく夫婦揃っての出場が決定したのでした。昨年秋のことです。

 マラソンの出場を知らせるL夫婦からのメールを受け取ったA子さんと我々は、I氏とも連絡をとりマラソン当日の応援分担を決めました。

マラソン参加の目的に加えて

 L夫婦の来日が切っ掛けで、初めてマラソンを沿道で応援することになりました。天候にも恵まれ、ランナー達は実に楽しそうに走っています。沿道のあちこちでランナーを元気づける大きなかけ声が聞こえてきます。お揃いのユニフォーム姿で走り抜ける団体がいます。奇抜なコスチューム姿のランナーや、赤い還暦のちゃんちゃんこ姿で走るシニアもいます。それぞれの思いで完走を目指しているのです。

 L夫婦から託された特製クッキーを10km、20km、30kmそれぞれの地点で手分けして無事渡すことができ、最後は感動のゴールです。3万人のランナーそれぞれに感動のゴールがあったのです。

 4時間を越える長丁場で肉体的には疲労困憊です。しかし完走をなしとげたL夫婦の表情には笑顔が浮かびます。ホテルに戻り休息を終えたL夫婦を取り囲んで完走祝賀会を開きました。参加者はミセスRとのつながりを作ったA子さん、マラソン参加の切っ掛けを提供したI夫婦、それに我々夫婦です。

 祝賀会は大いに盛り上がりました。初めてお会いするI夫婦とも話が弾みます。L夫婦からはマラソン応援に対するお礼の言葉に加え、日本の印象が語られました。日本の景観、食事、作法、交通システム、デパチカそして人々の親切など、彼らにとって驚きの連続だったのです。今回来日したことで、息子のボブが話していた日本のことがようやく理解できたそうです。まさしく百聞は一見にしかず、です。つまり息子に影響を与えた日本訪問を追体験することがもう一つの目的だったのです。そしてこの目的も十分達成できたのでした。

マラソンにはゴールがあるが人のつながりには終わりがない

 帰国直前、L氏が私に言いました。息子のボブが日本のことを話すとき、いつもミスター木下のことに触れるのだそうです。「ミスター木下は自分の知りたいことを何でも知っている」と感心しきりだったそうです。息子以上に父親であるL氏は質問魔でした。勿論、今回も私の雑学脳が活躍です。父親のL氏もミスター木下について追体験したのです(笑)。

 昨年12月のFPエッセイ「リンダの物語」でも触れましたが、今回も人のつながりの大切さを感じます。9年前、近所の女性がビーニーベイビーに興味を持ち、インターネットで呼びかけ、それに応えたミセスRとのやり取りがすべての出発点となりました。

 マラソンはゴールインすることで一つの区切りがつきます。しかし、人と人のつながりには終わりがないのです。今回I夫婦とも知り合いになりました。人の輪が広がったのです。しかし、何もしないで人と人の輪が広がるのではありません。今つながっている関係を大切にし、交流を深めることで成し遂げられるのだと思います。

 会社員時代の仕事を通じた人のつながりは、会社勤めをやめると同時に消滅するか細くなります。今は独立系FPとして新たな人とのつながりの広がりに努めています。しかし、人のつながり作りの達人である妻とのギャップは一向に縮まりそうにありません。


'08.2.29  木下 利信